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日本でプロのバスケットボール選手として活躍している田代直希さんですが、中学や高校などの学歴を知りたい方々も一定数います。
田代さんがプロになるまでの道のりは決して平坦なものではなく、バスケットボールのモチベーションが上がらない時期もあったのです。
本記事では、田代さんがプロになるまでどのような学歴や経歴を歩んできたのか、深堀りして解説しています。
学生時代からプロチーム所属まで時系列で解説しているので、ぜひ最後までご覧ください!
田代直希のプロフィール

田代直樹さんのプロフィールは以下のとおりです。
プロフィール | |
---|---|
名前 | 田代直希(たしろなおき) |
生年月日 | 1993年6月24日 |
身長 | 188cm |
体重 | 85kg |
出身地 | 千葉県 |
ポジション | SG/SF |
田代さんがバスケットボールを始めたのは8歳の頃で、2歳上の兄から影響を受けて始めたとインタビューで明かしています。
それから数々の活躍を積み重ね、2025年2月時点で本人の地元船橋のチーム千葉ジェッツに所属となりました。

地元でのさらなる活躍に期待したいですね!
田代直希の学歴


田代直希さんがどのような学校に通っていたのか、学歴が気になっている方がいるのは事実です。
田代さんは大学まで進学していますが、小学校~大学までどこに通い、何をしていたのか調べました。
時系列で紹介しているので、以下の内容をご覧ください!
小学校|船橋市立前原小学校


田代直樹さんが通っていた小学校は、千葉県船橋市にある前原小学校です。
小学校4年生から地元のミニバスチームに入ったと、2016年のBOJインタビューで答えていました。
5年生までは自由なチームでしたが、6年生になって隣の小学校のチームと合併して監督が変わると、指導が厳しくなったそうです。
田代さんは、さまざまなポジションでのプレーを監督から指示されたそうですが、このおかげでプレースタイルの土台が作れたのかと語っています。



この頃がバスケ人生で一番きつかったかも、とも語っていました!
ちなみに、同じミニバスチームに伊藤達也選手が、ライバルチームの高根台には原修太選手がいて、それぞれB.LEAGUEで活躍しています。
小さい頃から切磋琢磨する環境に置かれていたからこそ、今の田代さんがあるのでしょう!
中学校|船橋市立前原中学校
田代直希さんの中学時代は、千葉県船橋市にある前原中学校に通っていました。
中学でバスケットボール部に入った田代さんですが、この頃はそこまでやる気がなく、最終的には友人にかなり誘われて入ったそうです。
中学ではあまりバスケはやる気なくて…。6年生でお腹いっぱいでしたから。部活の体験入部みたいなやつでも、陸上部やテニス部に行っていたんです。
引用元:BOJweblog
それでも活躍してたと思いきや、チームの成績も振るわず、ジュニアオールスターや市の選抜に選ばれず、今からすると意外な状況でした。
バスケットボールへのモチベーションが上がらないまま受験シーズンに入った田代さんが変わったのは、受験も間近だった11月頃になります。
引退してから久しぶりに体育でバスケットボールをしたら、すごく楽しかったそうで、高校もバスケットボールを続けると決めたのです。



これを機に、バスケットボールが強い高校を受験したそうですよ!
高校|東海大学付属浦安高等学校


バスケットボールへの情熱が再燃した田代直希さんは、千葉県浦安市にある東海大学付属浦安高等学校に進学しています。
実は田代さんは、あろうことか推薦前の練習に遅刻してしまい、スポーツ推薦は無理だと諦めていたそうです。
ですが、高校から再び練習に来るように連絡があり、他のスポーツ推薦組に混じって参加した練習で驚きの発表がされました。



これが4月から入る1年生たちだ!
この1年生たちには、田代さんも加わっていたのです。
推薦でなく受験になると思っていた田代さんは、思いがけない展開に仰天!
紆余曲折の末に、田代さんは東海大学付属浦安高校に入学できたのでした。
高校での田代直希
東海大学付属浦安高校で田代さんはさまざまな活躍を見せ、チームは以下の成績を残しています。
- インターハイ予選でベスト4入り
- 関東大会Bブロックで3位
ほかには国体関東予選にも出場して、惜しくも準優勝で終わりましたが、中学時代と比べて目覚ましい活躍です!



この経験が大学時代にも繋がったのでしょうか
大学|専修大学


高校卒業後、田代直希さんはバスケットボール強豪校として知られる、専修大学に進学しました。
実は専修大学に入学したのは、2歳上の藤岡昴希さんが田代さんを誘ったのがきっかけだったのです。



大学決まってないなら専修来いよ



考えておきます
実はこのとき、藤岡さんは田代さんが3年生と勘違いして勧誘したのですが、田代さんが3年生になって専修大の監督からオファーがあり入学することになりました。
大学1年時
専修大学は、関東大学バスケットボールの1部に所属する有名な大学で、大学1年ではあまり試合には出場できませんでした。
当時、セカンドチームを作ってスタメンと入れ替えるケースもありましたが、リードした点差が追いつかれてスタメンに怒られるのもしばしば。



セカンドチームを「噛ませ犬隊」と自分らで命名したそうです
また、大学1年で田代さんは初めての全国大会出場を経験しています。
大会序盤は出場機会があったそうで、田代さんにとって良い経験だったのではないでしょうか。
大学2年時
大学2年になると上級生が抜け、田代さんは専修の主力として期待されるようになりました。
ですが、この頃を田代さんは次のように回想しています。



かなり足を引っ張っていました
宇都さんのおかげで勝てた試合ばかりです
この時期は入れ替え戦行きがかかったり、宇都直樹さんがケガで出場できない代わりに田代さんがチームを引っ張るなど、大変な時期でした。
しかし、チームが一丸になって頑張った結果、この大変な時期を乗り切れたのです。
大学3年時
宇都さんが卒業し、田代さんはチームの柱を任されるようになりました。
周囲からの声に応えようとした田代さんでしたが現実は厳しく、完全に空回りする結果となったのです。



自分が点をとらないと、と意識していたのが間違いだった
このような感想をインタビューで回答しています。
この年、専修は入れ替え戦をすることになりましたが、第3戦目で田代さんは残り9秒で3Pシュートを決め、1点差の劇的な勝利を掴みました!
チームは入れ替えを避けられ、監督を含めたチームメンバーが歓喜の涙を流すなか、なぜか田代さんだけはケロッとしていたそうです。
どうやら本人はこのプレーをまったく覚えておらず、「みんなどうした?」と思ったとか。



よほど集中していたのでしょうか!?
すごい集中力ですね!
大学4年時
3年時に入れ替え戦などの辛い経験をした田代さんは、絶対にあんな思いはしたくないとの一心でリーグ戦を戦い抜きました。
リーグ戦1巡目で筑波大や拓殖大といった強豪に勝つなど、3年の頃と比べてチームは確実に強くなっています。
田代さん自身も練習姿勢や下級生への対応など、様々な変化があった実りある1年間でしたが、ケガに泣かされた時期でもありました。
膝の前十字靭帯断裂や膝の骨挫傷で在学中のプレーは無理と診断されましたが、別の病院でリハビリして復帰しています!



本当はめちゃ痛かったけど、絶対顔にださないようにしました
また、ケガを押してプレーを継続した大学最後のインカレは、小学生でライバルだった原さんのいる国士舘と対戦しました。
なんでも、インカレ前に田代さんと原さんは会食し、「お互い楽しもう」と話していて、試合もすごく楽しかったそうです。
大学最後のインカレで良い思い出ができて、素晴らしいですね!
大学卒業後の田代直希のキャリア


田代さんは専修大学を卒業後、プロバスケットボール選手としてB.LEAGUEに所属しています。
大学で活躍した田代さんが、どのチームでプレーをしているのか時系列でまとめましたのでご覧ください!
琉球ゴールデンキングスに入団


2016年に田代さんは、沖縄のチーム「琉球ゴールデンキングス」に入団しました。
田代さんが大学4年の頃に、琉球ゴールデンキングスの社長からアプローチがあったのがきっかけで入団する決意を固めたそうです。
琉球ゴールデンキングスでの田代さんの経歴は、以下のとおりです。
- 2016年に入団し、プロ選手として活動を開始
- 2019年シーズンから、チームのキャプテンに就任
- 2022年シーズンでチームをB.LEAGUE優勝に導く
2021年のシーズンには左膝の前十字靭帯断裂により、治療やリハビリのため長期離脱を余儀なくされました。
リハビリ中は自暴自棄になる場面もあったとOTVのインタビューに答えていましたが、持ち直した田代さんはキャプテンとしてさらに成長したのです。



すごい精神力ですね、見習いたいものです!
地元の千葉ジェッツに移籍


琉球ゴールデンキングスで8年間プレーしてきた田代さんでしたが、2024年6月5日に琉球ゴールデンキングスを退団。
2024年6月21日に、田代さんの地元である千葉県のチーム「千葉ジェッツ」に移籍しました。
チーム内ではディフェンス力を武器としたプレースタイルで、ヘッドコーチからの信頼の厚さもネットの記事で垣間見えます。
プロバスケットボール選手としてベテランに域に達した田代さんの、今後の活躍に期待したいですね!


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