プロバスケットボール選手である馬場雄大さん。
最近では2021年に東京オリンピック日本代表に選出、また2023年にはW杯に出場しており
日本を牽引する選手の一人です。
そんな馬場選手ですが、実は学生時代成績が良く、大学では教員免許取得したとか?!
…今回は、馬場選手の学歴について調査し紹介したいと思います。
馬場雄大のプロフィール
馬場雄大のプロフィール
- 名前 : 馬場 雄大
- 生年月日: 1995年11月7日
- 身長 : 196㎝
- 出身 : 富山県富山市
- 高校 : 富山第一高校
- 大学 : 筑波大学
2021年に女優の森カンナさんと結婚を発表しています。お似合いの夫婦ですね。
2023年海外から再び日本へ
2017~2019年までは、アルバルク東京(日本)に所属しプレーをしていた馬場選手。
しかし、NBA選手になるという目標のため、2019年から海外チームに所属し、プレーしていました。
海外にいた期間、日本代表に何度も選出されています。
2023年9月26日に、プロバスケットボールB1リーグのチームである長崎ヴェルカに所属することを発表しました。
馬場雄大の学歴
それでは、馬場選手の学歴について紹介していきたいと思います。
筑波大学で教員免許を取得
筑波大学 体育専門学群に推薦で入学しています。
推薦入試である小論文で、92点という高得点で合格‼
実は高校2・3年生の時、クラスで成績が1番だったとか。
父である敏春さんもインタビューで証言しています。⇓⇓
筑波大に合格できたのは、定期テストでしっかり成績を残していたことも大きい。
高校2年と3年生の時は、学業成績がクラスNo.1。
「彼は試験に集中できる。社会は範囲のところをすべて暗記していましたし、平均が90点以上でした」
引用:https://number.bunshun.jp/articles/
また、現役を引退した後の人生を見据えて教員免許取得した馬場選手。
実は、父である敏春さんからの望みでもあったようです。⇓⇓
「(教員免許を取得して欲しい)それだけは頼む」
馬場が筑波大学(茨城県)への進学を決めた理由は、かつて男子バスケットボール日本代表選手だった父、敏春さんの望みを理解し、受け入れるという意味もあった。
それは教員免許を取得しての大学卒業だ。
息子にはキャリアの短い選手生活を終えた後の第二の人生についても考えてほしいという思いがあった。
「すごく言われてきましたし、それだけは頼むとも言われました」と、馬場は当時の敏春さんの気持ちを説明する。引用:引用:https://www.sportingnews.com/
「教員免許だけはどんなことがあっても取りなさい」と言いました。
当時は今の活躍なんて想像もしていなかったし、手に職をつける意味でも約束させました。
父だけではなく、母からも言われていたようで、馬場選手はインタビューでこのように答えています。⇓⇓
「筑波に入ったからには(教員免許を)取るつもりでした。
筑波の体育(学部)といえば教員免許を取ることが普通なので、何が何でも頑張ろうと思いました。
(頑張りは)半端なかったですね。」
敏春さんとの約束を守って大学を卒業した馬場は、在学中の2017年にプロになり、アルバルク東京でBリーグ2連覇(2018、2019年)に貢献した。
引用:https://www.sportingnews.com/
父:敏春さんとの約束を守り教員免許を取得し、大学を卒業した馬場選手。有言実行ですね。
部活は退部していた?!
2017年5月の関東大学バスケットボール選手権大会終了後、筑波大学のバスケ部を退部しています。
理由は、NBAでプレーするためです。
「4年生の5月に迎えた関東学生選手権をもって、バスケ部を離れる。」
馬場がチームメートにそう伝えたのは、選手権初戦まで約1カ月というタイミングだった。
全部員の前で馬場は言った。
「俺の夢はNBAやアメリカでプレーすること。そのためには1年でも早く力を身につけたい。インカレ3連覇も達成したし、次のステージに進みたいと思っている」
引用:https://4years.asahi.com/article/13613913
馬場選手のNBAでプレーすることを目標として掲げているので、納得の理由ですね。
バスケ部を退部しましたが、大学4年生の時にBリーグのアルバルク東京と契約をしました。
アルバルク東京での練習、日本代表としての合宿と試合、卒業論文、教育実習…など、忙しい日々を過ごし、無事大学を卒業されています。
ちなみに、馬場選手の卒業論文のテーマは【ダンクシュートの有用性と、勝敗に及ぼす影響について】だったそうです。
筑波大学の偏差値
筑波大学の偏差値は55~67.5とされています。(2023年時点)
富岡第一高校
高校は、富山第一高等学校へ進学しています。
実は、当時のバスケットボール部は、全国的に見れば強豪校ではありませんでした。
では、何故富山第一高等学校へ進学したのか?
馬場選手の父がバスケ部の監督だった?!
次で、詳しく紹介したいと思います。
馬場選手のお父さんとは?
現役時代は三井生命に所属し、1979年アジア男子バスケットボール選手権やモスクワ五輪予選の日本代表として選出されるなど、実力の持ち主であったようです。
現役を引退してからは、富山県に移住しミニバスのコーチをしていました。
その後、富山第一高校のバスケットボール監督を務めます。
バスケ部の監督はお父さん
馬場選手が進学した富山第一高等学校のバスケ部の監督は、実の父である敏春さんが務めていました。
富山第一高等学校へ進学しようと思ったのは、中学の時。
馬場選手は県外の強豪高校に進みたいと思っていたようですが、中学2年生のジュニアオールスターが終わった後に父からかけられた一言で気持ちが変わったのだとか。
ジュニアオールスターに出るような選手を集めて地元に強豪高校を作りたい。その先頭をおまえが切ってくれないか。
自分たちの力で強いチームを作りたい…‼
この言葉に心が動き、富山第一高等学校への進学を決めたようです。
実際に、馬場選手が高校2年生と高校3年生の時に全国大会出場を果たしました。
富山第一高校の偏差値
富山第一高校の偏差値は41~55とされています。(2024年時点)
富山市立奥田中学
馬場雄大さんの出身中学校は、富山市立奥田中学校です。
バスケ部に所属し、毎日2~3時間部活動を行い、更に週2回は午後6~9時の夜間練習もあったようです。
実は馬場選手が中学3年生の時、1年生として現在NBAで活躍する八村塁さんも在籍していました。
素晴らしいチームですね。
実は八村塁の「恩人」だった!
余談ですが…中学時代、体格に恵まれた八村選手にはヤンキーの道へ行きそうだったようです。
お前がヤンキーに引っ張られないように頑張った。
お前は優しいし、強そうだし。悪い道に行かないように。
雄大さんが助けてくださいましたよね。それは覚えている。
ほかに、ファン向けたSNSライブ配信中、このように話されています。⇓⇓
当時は他競技も選択肢にしており「最初はバスケやりたくなかった。なんもやらなくていいとも思っていた」と明かした。
「最初は大変だったんですよ」と言う馬場の行動がなければ、八村はNBA選手になるどころか、バスケをやってすらなかったかもしれない。
八村が「富山のヤンキーで終わってたんですかね」と言えば、馬場も「ごついヤンキーになっていたかもね」と笑った。
引用:https://the-ans.jp/news/108057/
馬場選手の行動がなければ、ヤンキーになってしまうか、他の競技を選択し、NBAで活躍するバスケットボール選手になっていない可能性が高いです。
八村選手からしたら、バスケに導いてくれた人ですから、恩人ですよね‼
以上、馬場雄大の学歴について紹介しました。
馬場選手は、成績が良く、学業とバスケの両立で忙しい学生時代を送っていたようです。
そして、教員免許を取得し大学を卒業するという父との約束を守りました。
素晴らしい方ですね。
馬場雄大選手のこれからのご活躍を応援しております。
最後まで、お読みいただきありがとうございました。
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