みなさん、こんにちは。
本日は富樫勇樹選手について。
Bリーグでトップレベルの選手である富樫勇樹選手ですが、彼のお父さんは富樫勇樹選手と同様にバスケットボールに身を置く人間。
今回はそんな富樫勇樹選手のお父さんに付いての情報を纏めていきたいと思います。
富樫勇樹|プロフィール

まずは富樫勇樹選手の簡単なプロフィールを纏めます。
- 名前:富樫勇樹(とがし ゆうき)
- 生年月日:1993年7月30日
- 年齢:31歳
- 出身:新潟県新発田市
富樫勇樹の父親・富樫英樹
ここからは本題である富樫勇樹選手の父・富樫英樹さんについてまとめます。
プロフィール
富樫勇樹さんのお父さんは富樫英樹(とがし ひでき)というお名前で、現在バスケットボールの監督を努めておられます。

- 名前:富樫英樹(とがし ひでき)
- 生年月日:1962年?月?日
- 学歴:新潟県立村上高校‐日本体育大学卒
- ボジション:PG(選手時)
開志国際高等学校バスケット部総監督
前述のとおり、富樫英樹さんは現在高校のバスケ部監督をされています。
その学校は開志国際高等学校。

- 所在地:新潟県胎内市長橋439−1
開志国際高校には「アスリートコース」という学部が存在するほど、スポーツにも力を入れている学校です。⇩

アスリートコースや国際アスリートコース、また医学科進学コースというものが存在したり、外国国籍の生徒が在籍したり⇩

様々な特色を持つ開志国際高校。
スポーツにも力を入れているだけあって、各部活動でも強豪校として知られている開志国際高校。
富樫英樹さんが総監督を務めるバスケ部も例外ではありません。⇩
主な大会実績
- 全国高等学校総合体育大会 男子優勝(平成30年度)
- 全国高等学校総合体育大会 男子3位(令和元年度)
- 全国高等学校総合体育大会 女子ベスト8(平成29年度)
- WINTERCUP 2020 男女出場(令和2年度)
- WINTERCUP 2016 女子ベスト8(平成28年度)
富樫英樹さんが開志国際高校のバスケ部監督に就任したのは、2014年の同校が開学した時。
そして、そのわずか2年後には同校バスケ部をインターハイに出場させベスト8という成績を納めています。
更に、創部5年目の2018年に全国制覇を成し遂げているようです。

す、すごい…
こちら⇩、に開志国際高校が全国優勝を達成した2022年時の富樫英樹監督⇩


富樫英樹のヒーローインタビュー
富樫英樹さんは名監督であることは間違いありませんが、監督の手腕は勿論のことその人間性にも定評があります。
開志国際高校を初めて全国優勝に導いた時、富樫英樹さんは試合後にヒーローインタビューを受けました。
そこで、



子どもたちのおかげで勝たせてもらいました。皆さん、ありがとうございました。
とコメント。
生徒の頑張りがあってこその優勝であることを心から理解していたのですね。
選手のみなさんもこの言葉には感動したのではないでしょうか。
バスケ選手としてではなく人間としても大きく成長できそうな部活動ですね。
前任は中学バスケ部顧問
2014年から開志国際高校のバスケ部監督を務める富樫英樹さんですが、それまでは中学校教員としてバスケットボール部の顧問となります。
日本体育大学を卒業後、社会人としてまたバスケ部顧問としてのキャリアをスタートしたのは長岡市立江陽中学でした。
長岡市立江陽中学
教員として始めに赴任したのは、長岡市立江陽中学。


- 所在地:新潟県長岡市巻島町180
この江陽中学で富樫英樹さんが顧問を務めたのは女子バスケットボール部でした。
この時の女子バスケットボール部の成績としては目立った成績はなかったようです。
豊栄市立木崎中学校
長岡市立江陽中学で女子バスケットボール部を指導した後、豊栄市立木崎中学校に赴任した富樫英樹さん。
ここで初めて男子バスケットボール部を指導することとなります。


- 新潟県新潟市北区木崎3291−1
ここで、名監督の才覚を発揮し始め、1996年に豊栄市立木崎中学校バスケ部を全国大会準優勝にまで導きます。
新発田市立本丸中学校
監督として初めて全国大会を経験した木崎中学校の後に赴任したのが、新発田市立本丸中学校。


- 所在地:新潟県新発田市緑町2丁目7−22
富樫英樹さんが顧問をつとめていた時の本丸中学校バスケ部は、公立でありながら全国大会に10度出場し、2度も全国制覇するほどの全国大会出場常連校だったそうです。
私立ではなく公立の学校を全国制覇に導くというのは選手の力もさることながら、監督顧問の力が素晴らしかったからと言わざるを得ないでしょう。
Uー16バスケ日本代表の監督就任
バスケ部の顧問として名実ともに名監督となっていった富樫英樹さんは、過去には男子バスケU-16日本代表のヘッドコーチも努めておられます。
2011年に開催された第2回FIBA ASIA U-16男子バスケットボール選手権大会で日本代表のヘッドコーチを務めました。
予選リーグを順当に勝ち抜いた日本代表は、決勝リーグ準決勝で中国に敗れたものの、3位決定戦でフィリピンを下し、見事に銅メダルを獲得しました。
こちらが当時の写真。⇩⇩
(写真左下が富樫英樹さん)


名監督になったきっかけは70歳の重鎮
これまで監督として素晴らしい成績を収め続けてきた富樫英樹さんですが、名監督へと成り上がっていったのはある人物との出会いがきっかけだったようです。
バスケが好きで教えるのも好きだったという富樫英樹さんですが、監督としてのキャリアを歩み始めた当初は「目標がそんなに高くなかった」そうです。



新潟でトップになりたい、全国大会に出られればいいな、というくらいでした。
と、当時のインタビューでも語っています。
しかし、そんな富樫秀樹さんの意識を「全国優勝」に変えたのはとある一人の人物との出会いでした。
中村和雄との出会い
「新潟の指導者仲間たちと、東京であったインカレを見に行ったんです。
研修のような形だったと思います。
でも、試合を見てお酒を飲んで帰るだけじゃもったいないからって、当時共同石油(現JX)にいらっしゃった中村和雄先生を訪ねていったんです。
みんなで押しかけて、『新潟まで来て講習会をやってください』って。」
出典:https://www.japanlaim.com/
中村和雄さんは鶴鳴女子高校を3度の日本一に導いた名指導者としてバスケ監督界では非常に名の知れた人物。
鶴鳴女子高校以外にも
- 共同石油(後のENEOSサンフラワーズ)
- 浜松・東三河フェニックス(後の三遠ネオフェニックス)
- バスケットボール女子日本代表
- 秋田ノーザンハピネッツ
- 新潟アルビレックスBB
などのヘッドコーチを歴任。
現在84歳となる同氏は秋田県体育協会のゼネラル・アドバイザーとして秋田県のスポーツ振興に取り組んでおられます。


中村和雄からの一言
バスケ界の重鎮と言われている中村和雄さんに教えを乞うた富樫英樹さん。
そこで、富樫英樹さんを後の名監督へと変貌させる一言を言われることになります。⇩
「中村先生にお前の目標は何だと聞かれまして。堂々と『全国に出ることです』と答えたんですが、これを一蹴されたわけです。『違う、目標なんて日本一以外ないんだよ』と。やるなら一番上を目指さなくてどうすると言われて、居合わせた一同全く返す言葉がありませんでした。」
出典:https://www.japanlaim.com/
「この出会い、この言葉をきっかけにして本当に変わりました。それなりに一生懸命やっていたつもりでしたが、本気になってみると次々と認識が甘かったことに気づかされるもので。面白いもので、指導者の意識が変わってくるにしたがって、選手の意識や動きもはっきりと変わるんです。それから徐々にでしたが、結果も出始めました。」
出典:https://www.japanlaim.com/
この出会いから過ぎに指導者としての手腕を降るい初めた富樫英樹さん。
この中村和雄さんとの出会いから3年後の2016年に当時の顧問と務めていた、豊栄市立木崎中学校を全国大会準優勝に導くこととなります。
そこから、
- 本丸中学校バスケ部を2度全国制覇
- 開志国際高校を5年で日本一に
- U16日本代表をアジア3位に
という輝かしい経歴を作りたのでした。
富樫英樹の現役時代
最後に、富樫英樹さんの選手としてバスケットボールに携わっていた頃について。
富樫英樹さんの選手時代の情報は殆どありません。
しかし、10歳からバスケットボールを初めたそうなので、ミニバスからバスケを初めていたことになりますね。



私は大学時代はずっと3軍でした
と、仰っている頃から選手としてというより、監督しての才覚があったようですね。
とは言え、富樫英樹さんが在籍した大学は日本体育大学。
基本的な身体能力が一般的なそれに比べてると優れていることは想像に難くないですね。
以上、富樫勇樹さんの父・富樫英樹さんについての情報を纏めました。
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